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スポーツサングラスの開発秘話

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スポーツサングラスの未来を切り拓いた男
山本為信氏(山本光学・3代目社長)

9月28日 23:00〜23:30 日本テレビ(読売テレビ)未来創造堂で放映



わたしたちは、今あらゆるジャンルのスポーツ選手がサングラスをかけている姿を目にします。 実は、日本人のスポーツ選手がサングラスをかけるようになったのは、1992年のバロセロナ五輪からで、 その影には、ものづくりの町、東大阪でメガネづくりにこだわる職人がいました。

山本光学は、戦前から続く工場などで使う産業用防護メガネや水泳やスキーのゴーグルを製造する老舗。 そんな老舗には、哲学がありました。「目を守ることもメガネの使命、安心して使えるものが人に愛される。」

この会社が、数々のスポーツサングラスの開発を手掛け、今では日本のスポーツ界で安心して使用できるメーカーと して称賛を浴びている。そのサングラスの名前は、「SWANS」。今では、よく知られている名前です。

ここにたどり着くまでには、いろいろなドラマがありました。あらゆる競技団体がサングラスの着用を不謹慎として していたため、普及に非常に多くの苦労がありました・・・。

3代目社長、山本為信氏は、1980年代ある考えにとりつかれていました。スキーや水泳のゴーグルの技術を 応用してアスリートの目を守るサングラスを作りたい・・・。しかし、あらゆる競技団体が選手のサングラス使用を 許可しなかったため、山本氏の計画は開発前に頓挫しました。「外国人ならいざ知らず、日本人スポーツ選手に サングラスは不謹慎・・・」というのがその理由でした。

そんな状況が変化したのは、1991年、バルセロナ五輪の前年のこと。マラソンが夕方にスタートすることが 決まり、選手は最初の20キロを西日へ向って走らなければならなくなったのです。山本氏は、さっそく陸連に掛け合い サングラスの開発に着手します。山本氏は、まず最初に有森裕子選手に意見を求めました。

彼女がこだわったのは、フィット感。そこで山本氏は、メガネのようにかけるのではなく頭全体を挟み込むカーブを描く サングラスを考えました。また、フィットさせればさせるほど、レンズが曇ってしまうため切り込みを入れるなどの 工夫も施しました。こうして試作品が完成します。しかし有森選手の要求はさらに上をいっていました。

「目を見えなくしてください・・・」自分の目が他の選手から見えなくなれば、他の選手との駆け引きが有利になると 有森選手は考えたのです。

そこで、山本氏はレンズにミラー加工を施しました。その山本氏のつくったサングラスをかけて力走した有森選手は、 見事、銀メダルを獲得。これをきっかけに、あらゆる日本人スポーツ選手がサングラスをかけるようになったのです。

「SWANS」のページは、こちらをご覧下さい。




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